1989年、シンプルなロックバンド「ティン・マシーン」時代
▷奇抜なメイクとファッション「デビッド・ボウイ」何者なのか?(1)
▷奇抜なメイクとファッション「デビッド・ボウイ」何者なのか?(2)
では、デビッド・ボウイのデビューから”カルト・スター”を経て”メジャーロックスター”へ駆け上がるまでを書きました。
1989年、デビッド・ボウイはロックバンド「Tin Machine」を結成します。1991年の「Tin MachineⅡ」を最期に事実上解散。
1989年、ボウイはゴージャスなサウンドとステージからイメージチェンジをはかり、シンプルなロックバンド「ティン・マシーン」を結成。
スタジオ・アルバムを2枚、ライヴ・アルバムを1枚リリースする。
その後、過去のベストヒットメドレー的なコンサートとしては最後と銘打って『サウンドアンドヴィジョン』ワールドツアーを行い、過去の総決算を果たそうとした。
1990年代、ソロ活動再開
1993年にはモデルのイマン・アブドゥルマジドと再婚。
そして、ナイル・ロジャースと再び組んで6年ぶりのソロアルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』を発表、『トゥナイト』以来9年ぶりに全英1位を獲得する。
1995年には今度はブライアン・イーノと再び組んで『アウトサイド』をリリース。その後、1997年に『アースリング』、1999年には『アワーズ…』をリリースする。 メジャーなロックスターには珍しく、1990年代のボウイはコンスタントに新しい作品の発表とツアー活動を行い、時代の実験的なアプローチを導入し、復調の兆しをみせる。
David Bowie – Black Tie White Noise (1993年)
2004年、活動休止状態に、引退の憶測も
2002年、2003年とアルバムを発表。しかしワールドツアー中に動脈瘤により緊急入院。
2004年以降は活動休止の状態になり、「実質的に引退した」という憶測も報道されるようになりました。
2000年代に入っても創作意欲は衰えず、2002年に『ヒーザン』、2003年に『リアリティ』と立て続けにアルバムを発表し、大規模なワールドツアーを開始する。
その中で8年ぶりの来日公演も果たした。しかし、このツアー中にハンブルクにて動脈瘤による前胸部の痛みを訴え緊急入院、残りの14公演を急遽中止した。
この一件以来、ボウイは創作活動には消極的となり、2004年の「ネヴァー・ゲット・オールド」(『リアリティ』からのシングル・カット)以降は2013年までリリースされていない。
公の場に姿を現したのも、2006年にデヴィッド・ギルモアやアリシア・キーズのライブにゲスト出演した程度で、表立った活動はほとんど行われていない。
David Bowie – Never Get Old (2004年-A Reality Tour)
2013年、デヴィッド・ボウイ突如復活
しかし2013年1月8日の66歳の誕生日に突如復活。新曲「Where Are We Now?」を発表しました。
2013年1月8日、ボウイの66歳となる誕生日に突如、新曲「ホエア・アー・ウィー・ナウ?」と10年ぶりとなる新作『ザ・ネクスト・デイ』を3月に発売すると発表。
先行シングルの「ホエア・アー・ウィー・ナウ?」は全世界119か国のiTunes Storeにて一斉配信開始され、リリースから24時間で27か国のiTunesチャート1位になった。
David Bowie – Where Are We Now? (2013年)
2015年、最期のシングル発表
2015年11月に「★(Blackstar)」、12月に「Lazarus」のシングルを発表。
David Bowie – Blackstar (2015年)
David Bowie – Lazarus (2015年)
2016年1月、ニューアルバム発表の2日後にがんで死去
2016年1月8日、デビッド・ボウイの69歳の誕生日にニューアルバム「★(Blackstar)」を発表します。
アルバム「★」は、イギリスで1位、アメリカで2位のベストセラーを記録
2016年1月9日の Facebook ではベストセラーの状況を投稿しています。
アメリカのマスコミもデビッド・ボウイの復活を大きな記事に
ニューアルバムのジャズの要素を取り入れた世界観も話題を呼びました。
2016年1月10日、がんによる死亡をFacebook上で公表
マスコミは大騒ぎとなった
2017年2月、グラミー賞5部門を獲得
2018年11月、グラストンベリー・フェスティバル2000の完全版が発売される
デビッド・ボウイの伝説的なライブと言われていた「グラストンベリー2000」が2018年11月30日に発売されます。