2016年に亡くなり翌年グラミー賞を受賞したデビッド・ボウイ。50年を超える活動の後半しか知らない人にとっては、回顧展や特集で目にするボウイの奇抜なメイクとファッションは驚きです。デビッド・ボウイのパフォーマンスの変遷を平易にまとめてみます。(文中敬称略)
80’s洋楽世代のデビッド・ボウイのイメージは”レッツ・ダンス”と”戦場のメリークリスマス”
自分にとってのデビッド・ボウイの強いイメージは、大ヒット曲「Let’s Dance」と出演映画の「戦場のメリークリスマス」でした。
デビッド・ボウイをメインストリームに押し上げた大ヒットアルバム”Let’s Dance”
1980年代の洋楽を好んで聴いていた(=1970年代をよく知らない)私の世代にとって、デビッド・ボウイのイメージと言えば、小林克也のベストヒットUSAで放送されていた”Let’s Dance”のPV(=プロモーションビデオ)でした。
ここでのボウイはノーマルなカジュアルなファッションをしています。
David Bowie – Let’s Dance (1983年)
Let’s Dance was issued on April 14, 1983, spending 13 weeks in the UK Top 5. The album made it to #4 on the US chart. The singles, Let’s Dance, China Girl and Modern Love were also worldwide smashes, reflected in the poll we launched on Thursday. See here: https://t.co/QWNjgUMEXr pic.twitter.com/Yldm0cXfHw
— David Bowie Official (@DavidBowieReal) 2018年4月14日
デビッド・ボウイが英軍将校役で出演した大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』
Let’s Danceのリリースと同じ1983年、デビッド・ボウイは『戦場のメリークリスマス※』に出演しています。
ビートたけし、坂本龍一も共演して話題を呼びました。(※大島渚監督:日本、英国、オーストラリア、ニュージーランドの合作映画)
Merry Christmas Mr. Lawrence (1983) Trailer – The Criterion Collection
坂本龍一が手がけたテーマ曲もヒット
クイーンとの共作曲「アンダー・プレッシャー」淡いグリーンのスーツ姿がカッコいい
デビッド・ボウイの強い印象のもう一つは、Queenとの共作「Under Pressure」のライブ映像に登場するスーツ姿です。
淡いグリーンにカラフルなシャツにネクタイ・・・スタイリッシュで憧れます。
Queen- Under Pressure (Rah Mix) 1999 (1981年)
デビッド・ボウイの奇抜なメイクやファッションはペルソナ作り?
しかしながらデビッド・ボウイを回顧する展示会や特集でクローズアップされるボウイは、奇抜なメイクやファッションのものがほとんどです。
ノーマルなカジュアルウェアやスタイリッシュなスーツ姿の印象が強い自分にとっては「昔はどうしちゃってたの?」とたいへん気になりました。
1964年に初シングル、~1969年の「スペイス・オディティ」の初ヒットまで
デビッド・ボウイは、1964年にシングル曲をリリース。以降は紆余曲折を経て、1969年の「Space Oddity」でヒット曲を得ます。
1969年、前年に公開された映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにして、アルバム『スペイス・オディティ』を制作。アポロ11号の月面着陸に合わせて、その直前にシングル「スペイス・オディティ」をリリース。
全英チャート5位、全米チャート15位まで上がり、人気ミュージシャンの仲間入りを果たした。
デビッド・ボウイ ー Wikipedia より引用
David Bowie – Space Oddity (1969年)
1972年~1973年、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を演じる
1960年代の後半、デビッド・ボウイはペルソナ(=架空の人物像)の制作に熱中したとのこと。
ボウイはロンドン・ダンスセンサーでのケンプのダンスクラスに習い、ケンプの下でコンメディア・デッラルテなどから学んだアバンギャルドとパントマイムによってドラマティックな表現を身につけ、そこから世界に対して見せつける自身のペルソナの制作に熱中した。
そして、1972年に誕生したペルソナが架空のロックスター「ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)」でした。
ボウイの衣装やメイクは、ジギー・スターダストを象徴するものとして、奇抜なスタイルへ変貌していったのです。
1972年6月、コンセプト・アルバム『ジギー・スターダスト』をリリース。
コンセプトに基づいて架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を名乗り、そのバックバンドである「スパイダーズ・フロム・マーズ」を従え、世界を股に掛けた1年半もの長いツアーを組んだ。
初期はアルバムの設定に従ったものだったが、徐々に奇抜な衣装(山本寛斎の衣装も多く取り上げている)、奇抜なメイクへと変貌していった。
アメリカツアーの最中に録音された『アラジン・セイン』は、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を演じるボウイというよりは、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」そのもののアルバムになった。
David Bowie – The Jean Genie (1972年)
しかし、1973年7月3日のイギリスでの最終公演を最後に、ボウイはこの架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を永遠に葬った。
一連の「ジギー・スターダスト」としての活動で、ボウイはグラム・ロックの代表的ミュージシャンとしての地位を確立することになった。
Today marks the 45th anniversary of David Bowie’s legendary final Ziggy and The Spiders show, which took place at Hammersmith Odeon on July 3rd, 1973. Check out the farewell speech and one of the more emotional performances of Rock ‘n’ Roll Suicide here: https://t.co/LDJGM7I5so pic.twitter.com/lGkZU2aPKs
— David Bowie Official (@DavidBowieReal) 2018年7月3日