その背景には、今は亡き稀代のドラマー「ボンゾ」ジョン・ボーナムの存在があり、翻意する可能性は低い?(文中敬称略)
ロバート・プラントを知ったきっかけは The Honneydrippers だった
1984年にふと入手したレコード(CDだったかな?)に夢中になりました。ハニードリッパーズ(The Honneydrippers)の『Volume One』。
Robert Plant’s The Honeydrippers | ‘Sea of Love’ | Official Music Video
ロバート・プラントの聴き始めはオールディーズからだった
私が洋楽を聴き始めたころには、レッド・ツェッペリンは、ロバート・プラントに続けて降り掛かった不幸によって、すでにほぼ活動停止状態にありました。
そしてついには1980年にはドラムのジョー・ボーナムの死去に伴い解散してしまいます。
リアルに聴いていた時期がなく、「名前は聴いたことあるけど・・・」ぐらいのイメージでした。
初めて真面目に聴いたロバート・プラントの歌は50年代のオールディーズのカバー曲だったわけですが、すっかり魅了されてしまいました。
1度限りのアルバム製作『Volume One』
このハニードリッパーズは、ロバート・プラントがレッド・ツェッペリン解散後に、自分の音楽志向を具現化するために発足した臨時グループでした。
- 心当たりのスタジオ・ミュージシャンらを集め1981年に英国のキール大学でライブを行った
- このステージをアーメット・アーティガン(アトランティック・レコード社長)が見ていた
- アーメット・アーティガンが、自分が好きな1950年代音楽のレコードを出したいと考えた時に、ハニードリッパーズのステージを思い出した。そして、ロバート・プラントに要請して作品発表に至った
やがて、1984年9月に届けられたアルバム『Volume One』は50年代のR&B/R&Rのスタンダード・ナンバー5曲によるEP規格(日本でいうミニ・アルバム)で、ファンの期待を裏切る内容であったものの作品のクオリティは評価されアルバム・チャートBillboard 200では4位と大ヒットしました。
現実には続きはなかったのに、それがあるようなタイトル『Volume One』は恐らくレコード会社の願望で、当の本人たちはそのつもりはなかったでしょう(所属レコード会社も異なる)。
I Wish~洋楽歌詞和訳&解説 より引用
超絶イケメン「70年代のセックスシンボル」ロバート・プラント
青池保子の『エロイカより愛をこめて』の「怪盗エロイカ」こと「ドリアン・レッド・グローリア伯爵」のモデル(見た目そのまんま)にもなったロバート・プラント。
プラントはそのルックス、声、ステージパフォーマンスから70年代を代表するセックスシンボルと称された。
特に、70年代前半のステージでは、女性ものの服やインド・中近東風の服の前をはだけて歌う姿は、その金色の長髪とあいまって「ロック界のアイコン(象徴)」と言われていた。
・・・中略・・・
全盛期のツェッペリンは、その派手な外見やオフ・ステージでの型破りな行動から世界中のプレスから目の敵にされており、「女体を喰らいその骨を窓から投げ捨てる」等と噂立てられるほどに悪評を高めていた。
ロバート・プラント Wikipedia より引用
とんでもなく素行が悪かったようなイメージで書かれています。
しかしその一方で1971年の初来日の際には広島をライブの場所に指定して、広島市に寄付をし殊勝な発言を行うような一面もあります。
ツアーの行程は東京で2回、大阪で2回、そしてメンバーの希望によって選ばれた広島だった。
9月の23日と24日に武道館でのコンサートを大成功させたメンバーたちは広島へと移動すると、27日の朝に原爆ドームと原爆資料館を訪れた。
同行していた音楽評論家の湯川れい子氏によれば、彼らは目を腫らしながら「人間はここ まで残酷なことをするのか。そこまで最低の生き物だとは認めたくない。こんな無惨なことをするのは愚かなことだ」と話していたという。
午後には広島市役所を訪問し、市長に被爆者援護資金としておよそ700万円寄贈の目録を手渡した。
・・・中略・・・
レッド・ツェッペリンがなぜ来日公演に広島を選んだのか、その理由はロバート・プラントが広島市長との会見で発した言葉から読み解くことができる。
「原爆投下は誰が悪いというより、我々人間の仲間が起こしたことです。同じ人間としてその事実にやはり申し訳無さを感じます。そして少しでも苦しんでいる人たちのために自分たちが力になれたらと考えました。音楽は人々に平和と楽しさを与えるものです。その音楽をやっている僕たちが、少しでも力になれるなら、実に光栄だと思います」
TAP the TOP より引用
Led Zeppelin – Whole Lotta Love (1997 Promo)
初期の頃はハイトーンでワイドレンジの声が特徴でしたが、喉を痛めて1973年以降は高音が出せなくなり(声帯を手術したという話もある)、歌い方が変化します。(松田聖子みたい)
レッド・ツェッペリンでのハイトーン、パワフルでワイドレンジなボーカルは、音楽界に衝撃を与え、ツェッペリンはたちまち世界のトップバンドとなった。
ボーカルスタイルの一つのあり方を確立し、以後のロック、ハードロック、ヘヴィメタルの歌唱法に多大な影響を与えた。
ロバート・プラント Wikipedia より引用
中後期の歌い方も渋くて好きです。
一夜限りのレッド・ツェッぺリン「再結成」
2007年12月、アトランティック・レコードの創始者、アーメット・アーティガンを追悼するチャリティーライブとして、一夜限りの「レッド・ツェッぺリン」を再結成しました。
ドラムはジョン・ボーナムの息子のジェイソン・ボーナムが参加。下の動画はそのライブのうちの1曲。
Led Zeppelin – Black Dog – Celebration Day [OFFICIAL]
2018年8月に70歳のロバート・プラント
2017年10月に『Carry Fire』をリリース。ジャケット写真、渋いです。
レッド・ツェッペリン再結成「900億円のオファーを蹴った」
1968年の設立から50周年を迎える2018年、ともに年老いた?往年の大勢のファンが待望し、巨額のショービジネス※となる「レッド・ツェッペリンの再結成」。
しかしロバート・プラントは一貫して否定し続けています。※2014年には900億円を超える契約を断ったとニュースになりました。
消極的なロバート・プラント「ジョン・ボーナムなしのレッド・ツェッペリン再結成」はあり得ない?
「レッド・ツェッペリン再結成」については、ロバート・プラントが最も消極的だと言われています。30年以上前から最近に至るまで一貫して「絶対ありえない」とコメントするインタービューの記録を追った記事 ↓
偉大すぎたレッド・ツェッペリンのドラマー「ジョン・ボーナム」
1980年9月に不慮の死を遂げたレッド・ツェッペリンのドラマー「ジョン・ボーナム」。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」、「LA Weekly誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」ともに第1位。
ジョン・ボーナム Wikipedia より引用
ロックミュージックにおいて考えられるドラムパターンは「彼が生前に叩き尽くした」とまで言われ、ミュージシャンの間では今でも崇拝されている存在だ。
TAP the TOP より引用
ジョン・ボーナムが叩くリズムの特徴を分かりやすく解説した動画
What Makes John Bonham Such a Good Drummer?
曲のほとんどがドラムプレイのインストゥルメンタル曲 ↓
Moby Dick (Live at Royal Albert Hall 1970)
「再結成はないけれど、何か50周年のお祝いは行う」
彼がいないバンドは「レッド・ツェッペリン」ではない・・・というロバート・プラントのポリシーです。
レッド・ツェッペリンの結成にあたり、ジミー・ペイジから誘われたロバート・プラントが、かつて一緒に組んでいたジョン・ボーナムを推薦したという経緯もあって、余計に思い入れは強いのでしょう。
ただし50周年のお祝いイベントは「何か」やるつもり、ということをロバート・プラントは発言しています。写真集の発売やパーティ?