アバが35年ぶりに新曲をレコーディング
1976年~1977年「全世界的なヒット」となった代表曲
Abba ー Dancing Queen
2018年4月27日、アバの公式サイト/SNSにて急遽下記メッセージが公開となった。 そこには活動休止となった1982年以来、約35年ぶりに4人で新曲をレコーディングしたこと。 新曲は2曲あり、そのうち1曲は「I Still Have Faith in You」という曲名であること、そして「デジタル・アバ」その新曲を12月に放送される特番で演奏することが発表されている。
udiscovermusic.jp より引用
アラフィフティにとっては懐かしすぎてやばい!?
私が中学に入ってすぐの頃、2つ上の兄がABBA(アバ)のレコードを買ってきました。
実はこのABBAが我が家にやってきた初めての洋楽レコードでした。
まさにヒット曲のオンパレードで、兄の目を盗みながら聴きまくった想い出が懐かしいです。
絶大な人気を誇ったアバ(ABBA)
小中学生向けの学習雑誌にもABBAが特集されていました。
ロックがまだ大人の多くには受け入れられていなかった時代、無害(と見られる)ポップ・グループのABBAは、少年向けにも安心して記事にできたのでしょうか。
中学校の英語の教師も「ABBAを聴いて発音を勉強しなさい」と授業で薦めていました。
The History of ABBA
下の記事では70年代のアバの誕生からの概略と圧倒的な人気ぶりが書かれています。
1974年の<ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト>で優勝したアバは、この40年間で最も影響力を持つグループの1つになった。 70年代の彼らは、60年代のザ・ビートルズと同じだった。どちらのグループも、ほかに類を見ないほどポップ・ミュージックを支配した。 ベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースによる名曲の数々、美しい2人の女性フリーダとアグネタを中心にした素晴らしいパフォーマンス。 要するに彼らは――史上最高と言ってもいいだろう――完璧なポップ・グループだった。
udicovermusic.jp より引用
実は、音楽ジャーナリズムからは避けられていたABBA?
スウェーデンのポップ・グループ「ABBA」の人気が爆発するのに従い、当初は好意的だった英米および日本のジャーナリズムから敵視するようになったという指摘をする、面白い記事もあります。
重要な点は音楽ジャーナリズムが好んでアバを嫌っていたという事実だろう。 特にアメリカやイギリスの音楽ジャーナリズム関係者はアバの存在を好ましく思っておらず、彼らに関する情報を意図して無視する傾向にあった。
「アバに関する情報を意図して無視する傾向にあった」各国の事情を要約すると以下のとおり。
イギリス
イギリスの音楽関係によっては、アバはイギリス音楽文化の敵。一世を風靡したブリティッシュ・ポップスはビートルズ解散とともに終わってしまった。「アバはビートルズを超えた」という声も自尊心をいたく傷つけた。
アメリカ
アメリカの音楽関係者にとっては、映画でも音楽でもアメリカ発が世界のスタンダートでなければならない。世界中でトップの人気を誇るアバは目の上のたんこぶ。所詮は外国人アバの情報など必要最小限で構わない。
日本
日本の音楽ジャーナリズムもアメリカとイギリスの影響を受けてしまった。特にビートルズ世代の関係者にとってはアバは認められない存在だった。
確かにレコードの売上や人気の割には情報や露出が少なかった気がします。メンバー4人のフルネームと人間関係を正確に言える人は(コアなファン以外に)どれくらい存在するのでしょうか?
アバ(ABBA)のメンバー4名は(一時期は)夫婦2組
メンバー(下の写真左から)
- (男)ビヨルン・ウルヴァース(ギター)
- (女)アグネタ・フォルツコグ(ヴォーカル)
- (女)フリーダ(アンニ・フリード)・リングスタッド(ヴォーカル)
- (男)ベニー・アンダーソン(ピアノ)
1と2,3と4はそれぞれ夫婦でした。(数年で離婚)
ABBA =(Agnetha ,Bjorn, Benny, Anni-Frid)
公式ページのバイオグラフィ
ABBAとは?
・・・前略・・・ 1974年から1982年まで実働期間約8年間で発表されたシングル・アルバム合わせて今日までに3億8千万枚以上という驚異的なセールスを記録している。 ビヨルンとベニーが創り出す美しくもポップなメロディーをアグネタとフリーダの二人の魅力溢れる女性が華麗なコスチュームでパフォーマンスして全世界を熱狂させた、スウェーデン出身で初めて世界的に大成功を収めたグループ。 一時はスウェーデンの世界的な自動車メーカーに次ぐ外貨獲得産業とも言われ、実際に利益率においては上回っていたこともあったという。 1982年に実質的に解散したがその人気は根強く、1992年にリリースされた「アバ・ゴールド/グレーテスト・ヒッツ」がこれまでに全世界で2,800万枚を超えるセールス記録している。
ABBA公式ウェブサイト より引用
History of ABBA
スウェーデンでそれぞれ音楽活動をしていたビヨルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンが1966年、公演先で出逢って意気投合、作曲家チームとして活動を始めた。 一方、アグネタとフリーダの二人はそれぞれソロ歌手として活動していて、1969年3月に公演先でフリーダとベニーが出逢い婚約、5月にはテレビ番組でビヨルンとアグネタが出逢い、7月に結婚。その後 1970年3月にビヨルン&ベニー名義でファースト・シングル「木枯しの少女 (She’s My Kind Of Girl)」をリリース、日本でも50万枚を越える大ヒットとなった。
同年6月ビヨルンとベニーが共作した「ヘイ・ギャムレ・マン」をレコーディング、アグネタとフリーダが初めてコーラスで参加し、これを機にビヨルン&ベニー、アグネタ&アンニ・フリード名義で活動を始め、1972年に「ピープル・ニード・ラヴ」をリリース。
1974年、各メンバーの頭文字をとってABBA(Agnetha ,Bjorn, Benny, Anni-Frid)と改名した彼らは同年4月6日、イギリスのブライトンで開かれたユーロヴィジョン・ソング・コンテストにスウェーデンを代表して出場、「恋のウォータールー」で見事グランプリに輝き一躍スターダムについた。
その後1975年にリリースした「S.O.S.」はイギリスでNo.1に輝き、続く「マンマ・ミーア」もイギリス、オーストラリアで1位となった。1976年「ダンシング・クイーン」が初の全米No.1に輝き、その後もヒットを連発して世界的なスターとなった。 1978年ベニーとフリーダが正式に結婚、1980年には初の来日公演も行なわれたが、1981年にベニーとフリーダとの離婚が発表され、同年結果的に最後のアルバムとなった「ザ・ヴィジターズ」を発表、1982年に新曲6曲をレコーディングした後に活動を停止、実質的解散状態となった。 ・・・後略・・・
ABBA公式ウェブサイト より引用
詳細はWikipediaも ご参照ください ↓
「アバの解散後ビジネス」の秘密
東洋経済の特集記事
2017年秋に「東洋経済オンライン」で4回シリーズで連載された特集が興味深かったです。
「アバは解散してからのほうがビジネスとして拡大している」という視点です。
「スウェーデンでは、VOLVO、エリクソン、H&M、IKEAといったブランドが有名ですが、アバもそのブランド産業のひとつだと思います」 友人のスウェーデン人はそう胸を張って話した。 1978年の時点で、アバはスウェーデンで最も急成長を遂げた「産業」となり、年間総収入は1600万ドル(当時のレート、1ドル=195円で約30億円)で、VOLVOよりも外貨を稼いでいたとも話題になった。
東洋経済オンライン より引用
連載第1回目の記事の要点をまとめてみます。
40年以上にわたって世界中で愛されるのはなぜか
- オリジナル作品を「スウェーデン語」ではなく、「英語」で歌ったという点
- 作品が有名アーティストや数々のトリビュートバンドに歌い継がれていったこと
- 大ヒットミュージカル『マンマ・ミーア!』の世界展開にあたって、オリジナル歌詞のローカライズを認めた
1.言語対策をしっかりと行った
アバの結成当初から、当時のマネージャーはアバをインターナショナルな存在にすることを考えていた。
- マネジメントに英語が堪能な女性秘書を起用した
- メンバーもレコーディングの際に英語の発音に関しては細かいアクセント、ニュアンスを含め、徹底的に意識した
- 南米での人気に伴い、ヒット曲をスペイン語で再録した
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2.さまざまな有名アーティストに歌い継がれている
1992年6月にイギリスの人気ポップデュオがカバーミニアルバムをリリースしてNo.1を獲得。その年の9月にベスト・アルバム「アバ・ゴールド」をリリースして世界的な再評価につながった。→アバの楽曲の「衣替え」が行われたことで、オリジナル作品の再評価につながった形。
3.歌詞のローカライズ
ミュージカルの上演に際しては、オリジナルの英語詞ではなく(クオリティのコントロールもしっかり行いながら)その国の言語で歌唱することに許諾を与えた。現在まで22カ国の言語に翻訳され、世界6大陸、50カ国以上で上演され、6000万人以上が観た舞台となっている。
年代問わず根強い人気と知名度
ABBAの音楽は、1989年にポリグラムにより旧譜発売の権利が買収され、1992年9月に発売されたグレイテスト・ヒッツ(アバ・ゴールド(英語版))は世界的大成功を収めた。
ABBA ー Wikipedia より引用
実際、この「ABBA GOLD」のアルバムの影響は大きかったでしょうね。私もABBAのベストを改めてCDでストックするきっかけとなり、またよく聴くようになりました。
ある日、家族でドライブをしているときに「ABBA GOLD」を車内に流し始めたところ、子どもたちに大受けでした。「これ知ってるー!」と騒ぐ曲がいくつもあるので不思議に思って聞いてみると、テレビの「はねるのトびら」というバラエティ番組でBGMとしてしょっちゅう流されていたとのこと。(Voulez-Vous とか)
参考情報
ABBA博物館
2013年5月にオープン。アバを知らない人でも楽しめる工夫を行っていると「東洋経済オンライン」の連載第2回に詳しく解説されています。