ビートルズの大ヒット曲「ヘイ・ジュード」を私とほぼ同年代が知らないことにショックを受けました。Hey Jude はポール・マッカートニーがジョン・レノンの(両親不仲で傷心の)5歳の息子ジュリアン・レノンを励ますために作った曲。ジュリアンは後にミュージシャンとして活躍しています。(文中敬称略)
ビートルズの名曲「Hey Jude」はポール・マッカートニーがジョン・レノンの息子を励ますために作った
テレビから流れてきた「ヘイ・ジュード」の曲を耳にした妻が私に聞いてきました。
「これってビートルズの歌? 何か感じが違う。。」
The Beatles – Hey Jude(1968年)
マイカーのBGMでもビートルズの曲は何度も流していたので、妻が「ヘイ・ジュード」を知らないことにショックを受けました。
もしかすると私は、ポール・マッカートニーよりもジョン・レノンの曲を聴く機会の方が多かったので、妻がポールの歌声に馴染んでいなかったのかもしれません。
ポールの歌声はシャウトしたり優しく歌ったり変幻自在で、一つの印象に留まらないのも影響しているでしょう。
妻のように「ビートルズはあまり良く知らない」人のために簡単に解説します。
ヘイ・ジュード(Hey Jude)はビートルズの18枚目のオリジナル・シングル曲(1968年8月発売)
ビートルズが「ヘイ・ジュード」をリリースしたのは1968年8月。18枚目のオリジナル・シングル曲でした。ビルボード誌で1968年の年間ランキング第1位となりました。1970年に同名アルバム「ヘイ・ジュード」も発売されています※。
※アルバム『ヘイ・ジュード』は2014年に発売の『THE U.S. BOX』で初CD化されました。
ジョン・レノンが前妻と不仲→傷心の息子のジュリアンを励ますためにポール・マッカートニーが曲を作った
ヘイ・ジュードが作られた頃、ジョン・レノンは(オノ・ヨーコと結婚する前の)妻シンシアとの仲が険悪となっており、破局が決定的になっていました。
ジョン・レノンとシンシアの間には5歳の息子ジュリアン(Julian Lennon)がいて、両親の不仲に心を痛めていました。
見かねたポール・マッカートニーが、ジュリアンを励ますために「Hey Jules」(Jules はジュリアンの愛称)という曲を作ります。
レコード化にあたっては Jules を架空の人物 Jude に変えて「Hey Jude」としてリリースしたのがこの曲です。
他にも諸説あるものの、ジュリアンは「ポールが自分のために作ってくれた」とコメントしている
他にも都市伝説的な諸説がありますが、後年のジュリアンの「ポールが僕のために作ってくれた曲だから」というコメントが「ポールの励ましソング」の説を裏付けています。
5歳の頃、両親の仲が険悪だった時に、ポール・マッカートニーがジュリアンを励ますため、「ヘイ・ジュード」を作ったと言われている。
1996年に、ロンドンで「ヘイ・ジュード」のレコーディング用楽譜類譜がオークションに出された際、「ポールが僕のために作ってくれた曲だから」とジュリアンが2万5千ポンドで落札している。
ジュリアン・レノン Wikipedia より引用
ジョン・レノンの前妻との息子「ジュリアン・レノン」もグラミー賞ノミネートのミュージシャン
ヘイ・ジュード(Hey Jude)の主人公となった(ジョン・レノンの前妻との息子)ジュリアン・レノンは、1984年にレコード・デビューをします。
1984年に「Valotte」でデビュー。ジョン・レノンの歌声にそっくりで衝撃
デビュー曲は『Valotte(ヴァロッテ)』 。歌声が父親のジョン・レノンそっくりだったことから、たいへん驚きました。デビュー当時は相当な話題となり、グラミー賞の新人賞にもノミネートされました。
Julian Lennon – Valotte(1984年)
1985年、1991年にトップ10入りのヒット曲も
ジュリアン・レノンはその後も音楽活動を続けており、1991年に「Saltwater」がトップ10入りしています。
Julian Lennon – Too Late for Goodbyes(1984ー1985年)
Julian Lennon – Saltwater (1991年)
2013年、ラリー・キングとのインタビューで父親を語るジュリアン・レノン
2013年に名物キャスター「ラリー・キング」のインタビューを受けるジュリアン・レノン。2012年にエアロスミスのアルバムに参加した話や、父親ジョン・レノンやビートルズのこと等を語っています。
Julian Lennon Gets Candid About His Late Father, The Beatles’ John Lennon