ビートルズのメンバージョージ・ハリスンの最初のソロ・シングルの「マイ・スウィート・ロード」。全米・全英No.1の大ヒットとなったこの曲は、実は後に「盗作」の訴えを受けて敗訴していたのでした。(文中敬称略)
元ビートルズ(The Beatles)のジョージ・ハリスン(George Harrison)
ビートルズのジョージ・ハリスンは、ジョン・レノンとポール・マッカトニーというあまりにもビッグな2大スターの影に隠れた印象が強いです。
しかしグループ時代から佳作を生み出し、その実力は知る人ぞ知るものとなっていました。
ビートルズ時代のシングルカット曲『サムシング』
The Beatles – Something(1969年)
『The Beatles(ホワイト・アルバム)』に収録『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』
The Beatles – While My Guitar Gently Weeps(1968年)
1970年、初のソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』リリース→全米・全英No.1
「ビートルズ解散後に最初に充実した活動を行ったのがジョージ・ハリスン」と評価する声もあります。
ビートルズ解散直後の1970年に、作りためていた曲を一気に収録し、LP(レコード)3枚組の初ソロ・アルバム『All Things Must Pass』を発表します。
同アルバムは全米・全英で7週連続1位となる大ヒットを記録します。
シングル曲『My Sweet Lord』全米・全英No.1
シングル・カットされた『マイ・スウィート・ロード(MY Sweet Lord)』も全米・全英No.1となり、ソロ活動は華々しいスタートとなりました。
George Harrison – My Sweet Lord(1970年)
バングラデシュ・コンサート:グラミー賞
1971年8月、ジョージ・ハリスンは大規模なチャリティーコンサート『バングラデシュ難民救済コンサート』を開催します。
ジョージ・ハリスンのシタール(インドの楽器)の師匠だるラヴィ・シャンカールの要請によるものでした。
ちなみにラヴィ・シャンカールはアメリカの歌手ノラ・ジョーンズの父親でもあります。(ノラ・ジョーンズの父親「ラヴィ・シャンカル」はインド音楽の大御所 をご参照)
エリック・クラプトンやボブ・ディラン他も参加したはバングラデシュ・コンサートは大成功。その模様を収めたライブ盤は、1972年度のグラミー賞(アルバム・オブ・ザ・イヤー)を獲得しました。
UNICEF USA: Ravi Shankar and the Concert for Bangladesh
1973年、2枚目のアルバム『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』も大ヒット
1973年にリリースされた2枚めのアルバム『Living In The Material World』も全英2位・全米1位の大ヒットとなりました。
しかし、同年秋にラヴィ・シャンカールと共に行った北米ツアーが酷評を受けます。(インド音楽中心、ジョージ・ハリスンの声帯不調)
『My Sweet Lord』盗作で訴訟受け敗訴
追い打ちをかけるように、最初のソロ・シングルの大ヒット曲『マイ・スウィート・ロード』がシフォンズの「ヒーズ・ソー・ファイン」(1963)の盗作である・・・との訴訟を76年に起こされ、ジョージは敗訴(81年に賠償金支払)。
その後もレコード会社とのトラブルもあり、ジョージ・ハリスンの音楽活動は低迷期へと入っていったのでした。