リトル・リチャードは、チャック・ベリーとともに「ロックンロールの創始者」として最初の「ロックの殿堂」受賞メンバーに。牧師としてゴスペルに寄り道していた時期からロック界に復活した背景には意外なきっかけがありました。(文中敬称略)
リトル・リチャードは引退後も人気が続く
2016年にコンプリート・レコードBOXが発売された リトル・リチャード / Little Richard は1932年12月生まれで(2019年8月現在)86才です。※
(※追記 2020年5月9日に死去が公表されました。死因はがんとのこと)
2013年9月に音楽活動から引退することを発表しています。
Little Richard – Mono Box: The Complete Specialty And Vee-Jay Albums
リトル・リチャードのシャウトが最高だ!!
私がリトル・リチャードを聴き始めたきっかけは、ビートルズ / The Beatles がカバーする曲で興味を持ったことです。
実際に「本家」を聴いてみたところ、圧倒的な迫力のシャウトにまたたく間に魅了されてしまったのでした。
リトル・リチャードを聴くきっかけはビートルズのカバー
きっかけは、ビートルズでポール・マッカートニーがシャウトする「のっぽのサリー(Long Tall Sally)」でした。
ポールの激しい歌唱を聴いているうちに、オリジナル曲にも関心が強くなり、リトル・リチャードの Long Tall Sally を聴いてみたところ、一発でノックアウトされたのです。
Little Richard – Long Tall Sally
ビートルズはこの他にも、リトル・リチャードのカバー曲を多数リリースしています。
そして当然ながら、私は”本家本元”のリトル・リチャードの曲を追いかけるようになったのです。
「リトル・リチャードはロックンロール全部だ」
日本のロックバンド THE BOHEMIANS(ザ・ボヘミアンズ) の平田ぱんだが、Webマガジンでリトル・リチャードの凄まじさを的確に説明しています。
誤解を恐れず述べるならばロックンロールとはリトルリチャードの凄まじさをリトルリチャード以外の人間がどうやって表現するかという挑戦の歴史だ
次のコメントとか、もう文章を読むだけでは何が何だか分かりません(笑)
しかし、ルシール / Lucille を歌うリトル・リチャードを見れば、平田ぱんだが伝えたかった衝撃が理解できましょう。
そして二曲目に流れたのが「ルシール」だった
最初の「ルシール!」ってとこ、
いや、
「あルシールアゥアァッ!!!」
ってとこのリトルリチャードの声裏返った瞬間に今度は僕は上と下に同時に吹き飛んだ
二曲目聴いた時点で僕は前と後ろと上と下に同時に吹き飛んだから計4人になっていた
つまり通常の4倍の思考を可能になっていたってわけ
Rock is 平田ぱんだのロックンロールの話 より引用
Little Richard – Lucille (1957) [Long Version, High Quality Sound]
リトル・リチャード「ロックン・ロールの創始者」の紆余曲折
ロックン・ロールの創始者と崇められ(あがめられ)、ロックの殿堂入りも果たしたリトル・リチャード。
しかし、彼の音楽活動には紆余曲折がありました。
少年時に同性愛者をカミングアウトし家を追い出される
リトル・リチャードの祖父はキリスト教の牧師。両親も厳格なクリスチャンでした。
このため、少年時代にゲイをカミングアウトしたリトル・リチャードは、自分の家に居場所を失い、15歳のころには酒場のミュージシャンとして生活していました。
Tutti-Fruttiの大ヒットで一躍スターダムに
1955年、リトル・リチャードが22才のとき。 トゥッティ・フルッティ / Tutti-Frutti のヒットで彼は一躍スターダムにのし上がり、以降もヒット曲を連発しました。
Little Richard – Tutti Frutti (Official Lyric Video)
突然の引退→牧師に「ロックン・ロールは悪魔の音楽」
しかし人気絶頂の1957年10月、リトル・リチャードは突然引退を宣言すると、翌年1月には神学を学ぶため大学に入学します。
そしてやがてリトル・リチャードは牧師となり「ロックンロールは悪魔の音楽」と否定して、歌うのはもっぱらゴスペルとなりました。
この辺りの経緯は こちら「ロックの歴史を変えた『叫び声』」- リトル・リチャード Little Richard – に詳しく書かれています。
共演したサム・クックへの嫉妬でロックンロールの封印を解く
1962年、彼はある出来事がきっかけで、ロックンロールの封印を解き、復活します。
ゴスペル歌手の サム・クック / Sam Cooke と一緒にイギリスをゴスペル・ツアーで訪れたときのことです。
コンサート会場の観客は、リトル・リチャードがゴスペルを歌っている間は静かに聴いていたものの、サム・クックが登場したとたんに熱狂的なムードとなったとのこと。
ソウル・ゴスペルのスター歌手が自らのヒット曲を歌うのですから無理もないでしょう。
Sam Cooke – A Change Is Gonna Come
すると、猛烈に嫉妬したリトル・リチャードは、サム・クックのステージの後に、往年のロックン・ロールのヒットナンバーを演奏して観客の喝采を浴びます。
この「焼きもちで封印を解いた」リトル・リチャードのロックン・ロールは各地で大盛況。
初期のビートルズに刺激に受けてロックン・ロール界に復活
リトル・リチャード復活の報を聞いた(ビートルズのマネージャーである)ブライアン・エプスタインから共演のオファーが届きます。
初めてビートルズの演奏を見たリトル・リチャードは、海を渡ったイギリスで自分のロックン・ロールが若者に演奏されている事実に心を動かされました。
そして、リトル・リチャードは本格的にロックン・ロールの世界に復活するのでした。
詳細は TAP the TOP の記事に書かれています。
2013年9月リトル・リチャードはついに引退
復活後は80歳近くまで音楽活動を続けてたリトル・リチャードは、2013年9月に引退を宣言しました。
「俺がショービズの世界で仕事を始めた時には、まだロックンロールなんてもんは存在しなかったんだ……だから、そこに俺のレガシーがあるって言えるはずさ。
『トゥッティ・フルッティ』を発表した時、その時こそロックが本格的に誕生した瞬間なのさ」
BARKS 2013/09/05 より引用
「自分はロックの創始者だけど、何にも貰っていない!」
リトル・リチャードのボヤキは、グラミー賞のプレゼンターで呼ばれた際のお決まりのジョークとなっていました。
嫌味にならないのは、今で言う「オネエキャラ」の為せる業かもしれません。