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バディ・ホリー | 22歳で亡くなった偉大なロックスター

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アメリカの’50sのロック・スター ”バディ・ホリー / Buddy Holly” は、ロックの殿堂入り第1号。バディ・ホリーが22歳の若さで亡くなった不慮の航空機事故では、3名のスターを同時に失い、後年『音楽が死んだ日』と呼ばれるようになりました。(文中敬称略)

ロックの殿堂入り第1号”バディ・ホリー”は22歳の若さで亡くなった

バディ・ホリーは、アメリカのロックンロール草創期である1957年に大ヒット曲を連発し、1959年2月に飛行機事故によって22歳の若さで亡くなりました。この航空機事故で3名のスターが死亡。後に『音楽が死んだ日』と呼ばれます。

Buddy Holly & The Crickets “That’ll Be The Day” on The Ed Sullivan Show

バディ・ホリーはとりあえず何でも良いからベストアルバムを聴いてみよう

バディ・ホリーは、多くの種類のベストアルバムが発売されています。どれでも良いから通して聴いてみましょう。何曲かは耳にしたことのあるメロディーがあるはずです。

 
 
The Very Best Of Buddy Holly & The Crickets
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なぜ私が”バディ・ホリー”を好んで聴くようになったのか?

全く年代が重なっていない私が、なぜバディ・ホリーを好んで聴くようになったのか? きっかけは古い映画とダンス。加えて(私が敬愛する)ジョン・レノンの存在でした。

 

名画座での古い映画鑑賞~競技ダンス部でオールディーズに馴染む

私が高校生の時、学校から2つ隣の駅の吉祥寺に「テアトル吉祥寺」という名画座がありました。

この映画館は、1980年オープン時は(当時としても珍しい)名画座の新館で、しかも(当時はロードショー館でも完備されていなかった)Dolbyステレオやボディソニックシートを設置。料金もリーズナブルで素晴らしい映画館でした。

ここで、ウェストサイドストーリー、ジェームズ・ディーン3部作、ビッグ・ウェンズデー といった往年の名作映画を鑑賞しているうちに、1950年代~1960年代のカルチャーへの関心が強くなっていきました。

ウェストサイドストーリーに感化された影響もあり、大学に入ると競技ダンス部に所属していました。

”パーティーダンスの華”とも言える「ジルバ」は競技の種目ではありませんでしたが、アルバイトでダンスパーティーへ参加したり、企業へパーティーダンスを教えに行ったりすることもあり、ジルバでよく使われるオールディーズ音楽に引き込まれました。

オールディーズの中でも、とりわけ夢中になったのがバディー・ホリーでだったのです。

 

バディ・ホリーは、ジョン・レノン(ビートルズ)に多大な影響を与えた存在

私が中学の時からジョン・レノンに傾倒していたのも、バディー・ホリーがお気に入りとなった一つの要因です。

バディー・ホリーは「実質2年間」の短い活動期間で後のミュージシャンに大きな影響を与えました。

たとえばビートルズで言えば、「ビートルズはクリケッツ(バディー・ホリーのバンド)のまねから始まった」とポール・マッカートニーは語り、実際にビートルズの前身のクオリーメン時代にはバディー・ホリーの曲の多くをレパートリーに取り入れていました。

またBeatlesという名称そのものも、バディー・ホリーの影響を受けています。

「BEATLES」という名称はジョン・レノンとスチュアート・サトクリフが考えた造語である。ジョンの証言では、この名前が考案されたのは1960年の4月で、バディ・ホリーのバンド名「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」のクリケッツにあやかり、昆虫の名前で同じように2つの意味を含んでいる言葉としてビートルズを、映画『乱暴者』から思いついた。

ビートルズーWikipedia より引用

 

バディ・ホリーは、ロックの殿堂入り第1期10人の一人

1986年に創設された「ロックンロールの殿堂」。バディー・ホリーは最初の受賞者10人のうちの一人に選ばれました。

ちなみにその受賞者10人とは次のとおりビッグネームが名を連ねています。

  • チャック・ベリー
  • ジェームス・ブラウン
  • レイ・チャールズ
  • サム・クック
  • ファッツ・ドミノ
  • エヴァリー・ブラザース
  • バディ・ホリー
  • ジェリー・リー・ルイス
  • リトル・リチャード
  • エルヴィス・プレスリー
 

バディ・ホリーは航空機事故で死亡、享年22歳

1959年2月3日、バディー・ホリーがツアー後に搭乗したチャーター機が吹雪のためトウモロコシ畑に墜落。ホリーは、まだ22歳という若さで帰らぬ人となりました。

 

音楽が死んだ日(The Day the Music Died)

墜落した航空機には、バディー・ホリーの他に二人の人気ロックンローラーが搭乗していました。

  • リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)
  • “ビッグ・ボッパー” ジャイルス・ペリー・リチャードソン(Big Bopper)

一度に3人ものスターが亡くなった墜落事故が起きたこの日は「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)と呼ばれています。

後に、ドン・マクリーンがこの悲劇を題材にした楽曲「アメリカン・パイ」のなかで、この出来事を「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)として歌いあげ、この呼び名が定着した

音楽が死んだ日ーWikipedia より引用

 

亡くなったロックースターの代表曲はこちら。

Ritchie Valens ー Donna

 

Big Bopper ー Crazy Blues

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