1988年に英米のスーパースター5名が集まって結成した伝説のロックバンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」。
サングラスに変名利用の覆面バンドながら、素性がバレバレでアルバムは大ヒットしグラミー賞も獲得。メンバー憧れのロイ・オービソンが急死するという悲劇もありました。(文中敬称略)
レーベルの垣根を超えて実現したスーパーバンド”Traveling Wilburys”
アメリカとイギリスのロック界のスーパースター5人が集まって1988年に誕生した トラヴェリング・ウィルベリーズ/ Traveling Wilburys。
それぞれ契約レーベル(レコード会社)が異なるため、サングラス着用に変名使用という奇策(?)によって実現したスーパーグループです。
上のツイート写真の左からそれぞれ、
通名と(グループ結成時の)変名。
通名 | 変名 |
ボブ・ディラン(Bob Dylan) | Lucky Wilbury |
ジェフ・リン(Jeff Lynne) | Otis Wilbury |
トム・ペティ(Tom Petty) | Charlie T. Jnr |
ロイ・オービソン(Roy Orbison) | Lefty Wilbury |
ジョージ・ハリスン(George Harrison) | Nelson Wilbury |
4人が”Wilbury兄弟”で(なぜか)トム・ペティだけは従兄弟(いとこ)という設定でした。
結成のきっかけは、ジョージ・ハリスンの新曲セッション
トラヴェリング・ウィルベリーズ結成の経緯には諸説あります。共通する話は次の点。
・きっかけは、1988年にジョージ・ハリスンのアルバム「Cloud Nine」からシングルカットする”ディス・イズ・ラヴ(This is Love)”のB面(=カップリング)予定曲の”Handle with Care”を5人でレコーディングした。
・出来上がった”Handle with Care”が、B面の曲にするにはもったいないほど良い仕上がりとなった。レコード会社からのすすめもあって、アルバム化することにした。
音楽で交流のあったメンバーが誘い合う
なぜこの5人が集まったのか? で共通するヒントは3つあります。
- ジョージ・ハリスンとジェフ・リンが中心になってメンバーを誘った
- B面予定曲のレコーディングはボブ・ディランのスタジオを借りて行った
- ジョージ・ハリスンはトム・ペティにギターを預けてあった
この以前にも、アルバムのセッションやツアーに参加、またはプロデュースで協力等、何かしら接点があって気の合う仲間が集まったイメージです。
ロイ・オービソンはロックンロール黎明期のレジェンド
▼ただしロイ・オービソンについては、他の4人からは「憧れの対象」として受け止められていた様子が下の記事には書いてあります。
当ブログの記事 ビッグ・オー「ロイ・オービソン」魅惑の”ザ・ヴォイス”とサングラス にもロイ・オービソンの魅力を書きました。
トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1を発表
1988年10月にファースト・アルバム ”トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1 – Traveling Wilburys Vol.1” をリリース。
異なるレコード会社との関係から、実名を伏せ、当初はプロモーションも行いませんでした。しかし、プレイスタイルからスーパースターの特定は容易であり、アルバムは大ヒットとなります。
1989年にはグラミー賞の最優秀ロック・デュオ / グループを獲得しました。
アルバムは大きな成功を収め、現在米国RIAAよりトリプル・プラチナ・アルバムに認定。1989年のグラミー賞では、最優秀ロック・デュオ / グループを受賞した。
プロモーションには、ジョージ・ハリスンも愛用していたギター・ブランドのグレッチ社より全面的な提携サポートを受け、全員がグレッチのギターを持った写真が撮られたり、ウィルベリーズ・モデルのギターがグレッチより限定で発売され PV でも使用された。
Traveling Wilburys – Handle With Care
ジョージ・ハリスンは”Traveling Wilburys”によるコンサートツアーの構想もアナウンスしました。
ロイ・オービソンが急死
しかしアルバム成功の矢先、1988年12月6日にロイ・オービソンが心筋梗塞により突然亡くなります。”トラヴェリング・ウィルベリーズ” のコンサートツアーも夢物語となってしまいました。
下の”End Of The Line”のミュージックビデオはロイ・オービソンの死後に収録されたものでしょう。
1:40のあたりから「ギターの置かれた空席のロッキングチェアと、壁際に飾られたロイ・オービソンの遺影」が映っています。
The Traveling Wilburys – End Of The Line
トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.3を発表
1990年10月、ロイ・オービソンを除く4人が変名を変えて(今回はトム・ペティも”Wilbury”姓となった)、2枚めのアルバム ”トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.3 – Traveling Wilburys Vol.3” を発表しました。
通名 | 変名 |
ボブ・ディラン(Bob Dylan) | Boo Wilbury |
ジェフ・リン(Jeff Lynne) | Clayton Wilbury |
トム・ペティ(Tom Petty) | Muddy Wilbury |
ジョージ・ハリスン(George Harrison) | Spike Wilbury |
he Traveling Wilburys – She’s My Baby
The Traveling Wilburys – Inside Out
幻のトラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.2
1988年発表の”Traveling Wilburys, Vol.1”の次にリリースされたアルバムは”Traveling Wilburys, Vol.3”でした。なぜVol.2が無いのか?
正式なリリースはありません。ただし事情を推し量る「うわさ」はあります。
自殺した”デル・シャノン(Del Shannon)”が参加の噂
ファンの間でまことしやかに噂されている事情は次のような話です。
1988年12月に急死したロイ・オービソンの後釜としてデル・シャノン(Del Shannon)が参加して”Vol.2”をレコーディングした。しかし、デル・シャノンが1990年2月に自殺したため、Vol.2はお蔵入りとなった。
実際、デル・シャノンが加わって録音した「音源の海賊版がある」という情報もネット上には見られます。デル・シャノン Wikipedia
↓デル・シャノンの代表曲 Runaway
トム・ペティの”フル・ムーン・フィーヴァー”がVol.2という説
一方で「トム・ペティが1989年に発表した初ソロ・アリバム ”フル・ムーン・フィーヴァー(Full Moon Fever)” が実質Vol.2だった」という声もあります。
”Full Moon Fever”の参加アーティストには、ジェフ・リン、ジョージ・ハリスン、ロイ・オービソンの名前が見られます。ただしボブ・ディランの名前は見当たりません。
トム・ペティのプロフィールについては アメリカン・ロックの至宝「トム・ペティ」名曲”未発表音源”ボックス に書きました。
いずれにせよ、メンバーが沈黙を保っているため、真相は闇の中にあります。
公式ホームページ
▼トラヴェリング・ウィルベリーズ (The Traveling Wilburys)のオフィシャルサイトはこちら。内容が充実しています。
▼タイムラインのメニューをいじっていると楽しいです。1986年以降の各メンバーとグループの活動状況が網羅されています。
2CD+DVD付!!