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ジョン・レノン | ヨーコ・オノ | NYのダコタハウスとイマジン記念碑に行ってきた

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ジョン・レノンが狂信的なファンに銃撃されて亡くなったのは、ジョンが40歳になった2ヶ月後。5年のブランクを経て音楽活動を再開し始めた直後でした。撃たれる2ヶ月前にリリースし、死後ビルボード紙のヒットチャートNo.1を獲得した『(Just Like)Starting Over』 は、新しいスタートを宣言する名曲です。(文中敬称略)

ジョン・レノンと私

自分が17年間勤めた銀行から転職したのは39歳のとき。ジョン・レノンの影響を強く受けた自分にとっては、(ジョンが死んだ)「40歳」というのは非常に重要なターニングポイント。

居ても立ってもいられなくなり、まずは銀行を離れて新しいスタートに踏み切ったのでした。銀行での送別会での挨拶でもそう話しました。

2017年10月に初めてニューヨークへ行き、念願のダコタ・ハウスとストロベリー・フィールズ・メモリアルを訪れました。

John Lennon ”(Just Like)Starting Over”

ジョン・レノンが撃たれた自宅「ダコタ・ハウス」へ行く

ダコタ・ハウスがある場所

ダコタ・ハウス(The DakotaDakota Apartments)は、ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドにあります。

地下鉄の最寄り駅は「72 St」。オレンジ色のBか青色のCの路線が停車します。

 
Metropolitan Transportation Authority ウェブサイト より引用
 

地下鉄の「72 St」駅で降りて地上へ出ると、ダコタ・ハウスが目の前に現れます。

1884年竣工のルネサンス様式の重厚な外観は、一際目立つため直ぐに「これがダコタ・ハウスだな」と分かります。

 
ダコタ・ハウスの全景
セントラルパーク側から見たダコタ・ハウス
 

観光客の絶えないダコタ・ハウス玄関前

ジョン・レノンが凶弾に倒れた玄関前には守衛が立っています。観光客が玄関前で写真を撮っていたり、じっと感慨にふけっていたりと、常に人が絶えません。

 
ダコタ・ハウスのエントランス側
ダコタ・ハウスの玄関前。右下に見えるのがセントラルパークの入り口。
 

ストロベリー・フィールズ(記念碑)へ行く

ダコタ・ハウスから徒歩数分の距離

ダコタ・ハウスとストロベリー・フィールズの位置関係は、下の地図のとおり。

 

 

案内看板によると、意外と広いゾーンが”Straberry Fields”となっています。

NYセントラルパークのストロベリー・フィールズ’の案内看板
ストロベリー・フィールズの案内看板
 

思い思いにジョンを偲ぶ(しのぶ)各国のファン

『IMAGINE』と描かれた円形のモザイク碑の前には、神妙な顔で立ち尽くすファン、陽気に記念撮影をするファン、側のベンチで想いに耽るファン・・・様々な人種のファンが集まっています。

ストロベリー・フィールズ (記念碑)の様子
IMAGINEのモザイク碑に集うファン
 

ずっとギターでビートルズとジョン・レノンの曲を弾き語りするファンもいました。

Beatlesの”Girl”を熱唱するおじさん ↓

本家”Strawberry Field”は英国の孤児院

ビートルズファンには既知の話ですが、念のため。なぜニューヨークのジョン・レノンの記念スポットが「ストロベリー・フィールズ」と名付けられたのか?

英国にかつてあった「ストロベリー・フィールズ」という孤児院が、ビートルズの名曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」にインスピレーションを与えて有名になりました。

幼い頃のジョン・レノンが、ストロベリー・フィールドで開かれるパーティーを楽しみにしていたそうです。

この孤児院施設は2005年に閉鎖されました。現存しビートルズファンの聖地となっている赤い鉄門は、もともとあった実際の場所から2011年に移築されたものです。

JTBの観光案内 ↓

Beatles ”Strawberry Fields Forever – Restored HD Video”

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