20世紀の終わりに彗星のごとく登場して大ブレイクしたシンガー宇多田ヒカル。デビュー時に私が受けた衝撃を振り返るとともに、母親の藤圭子に関してマンガ『巨人の星』と紐づけられた特殊な思いを綴ります。(文中敬称略)
宇多田ヒカルの20年前の衝撃デビューを思い出した
Twitterで話題になっていた宇多田ヒカルのツイート。ふと20年前のデビュー時のインパクトを思い出してしまいました。
歌姫ってなんなん
— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) February 15, 2019
1998年の終盤にいきなりヒットチャートの上位に現れた「宇多田ヒカル」という名前。流れてきた曲「Automatic」は衝撃的でした。日本のポップスの範疇を超えた斬新さと流暢な英語の歌詞パート。
当然ながら「え? 誰、誰?」となるわけですが、飛び込んでくるプロフィールも刺激的でした。
なんと15歳!?
母親が藤圭子!!!?
宇多田ヒカル – Automatic(1998年12月)
1999年2月には2ndシングル「Movin’ on without you」がリリースされて連続大ヒット。
3月に発売されたファースト・アルバム『First Love』は当然に入手し、1999年の私の愛聴盤となったのでした。
当時2歳の息子は、宇多田ヒカルの Automatic や Movin’ on without you の曲が流れるとご機嫌になって踊りだしました。
布団の上であまりにもピョンピョン飛び跳ねるため、(銀行)家庭寮の下の階の夫婦はまもなく引っ越してしまいました・・・
宇多田ヒカル – Movin’on without you(1999年2月)
宇多田ヒカル – First Love(1999年4月)
(昭和45年前後に大ブレイクした)藤圭子の娘という話題性も超弩級だった
宇多田ヒカルが(歌手)藤圭子の娘という話題にも強い興味を持ちました。
藤圭子は、1969年9月に「新宿の女」のシングル曲でデビュー(当時18歳)。続くシングル「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」と大ヒットを連発。
1970年3月リリースのアルバム『新宿の女』、1970年7月の『女のブルース』も記録的な大ヒットとなっています。
ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。なお、内山田洋とクール・ファイブとの共作「演歌の競演 清と圭子」も含めると計42週連続1位となる。
シングルにおいても「女のブルース」は8週連続1位、続く「圭子の夢は夜ひらく」も10週連続1位を記録し、18週連続1位という同一歌手での連続記録を残す。
藤圭子 Wikipedia より引用
藤圭子の全盛時代をリアルに知っている親には懐かしい響き?
1999年、私の母方の祖母が失くなった時に、夜中に自動車に両親を乗せて、深夜に東京から富山へ運転して駆けつけたことがあります。
車中で宇多田ヒカルのアルバム『First Love』を流していたところ、母が「この宇多田ヒカルって、藤圭子のお嬢さんなんだってね・・・」とつぶやき、じっと聴き入っていたのが印象的でした。
何か相通づるものを感じていたのでしょうか・・・
藤圭子の印象はマンガ『巨人の星』で脳裏に焼き付いていた
藤圭子がデビューからシングル曲の大ヒットを3連発した1969年~1970年は、私は2~3歳でした。恐らくまだ自宅にはテレビが無かったと思います。
街なかで曲を耳にすることは当然あったでしょう。しかしリアルタイムでそのブレイクぶりを認識していた訳ではありません。
実は「藤圭子」という名前を私の脳裏に強く焼き付けたのは、マンガ『巨人の星』の1シーンだったのです。
マンガの中で星飛雄馬と一緒にテレビのトークショーに出演していた藤圭子
単行本では最終巻。主人公の星飛雄馬が(魔球)大リーグボール3号を駆使して快進撃を続ける中、テレビ番組のトークショーで共演者として登場するのが「藤圭子」でした。
司会者は藤圭子の大ヒット曲『圭子の夢は夜ひらく』の歌詞を持ち出して、出演者の暗い苦闘の時代のエピソードを聞き出そうとします。
『巨人の星(19)』(週刊少年マガジンコミックス) Kindle版 / 講談社/No.139より引用
星飛雄馬は「(過去は)暗いうちに入らん! あの頃に戻りたい・・・」と、空気を読まない応答をして司会と共演者をドン引きさせます。
『巨人の星(19)』(週刊少年マガジンコミックス) Kindle版 / 講談社/No.140より引用
私は子供の頃からこのシーンが好きでした。「空気を読んで迎合すること」をよしとしない私の「天の邪鬼(あまのじゃく)」は、実はこのシーンが影響している可能性もあります。